ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

その自意識はコントロールできる。

 

子どもの別室登校が始まって、早くも一か月が経過しました。

 

毎朝の登校もすっかり慣れて

給食も美味しくいただいているようです。

片道20分程の通学と給食が効いているのか

心なしか、体つきもガッチリしてきたように感じます。

 

息子は、別室登校を基本に

担任と話し合って

その時々で必要とする授業に参加しています。

 

最初のころは緊張していた授業ですが

教科を絞り込んで

先生との信頼関係を足掛かりに参加をしていくことで

徐々に緊張もほどけてきているようです。

 

また別室でも

レギュラーメンバーの子たちの間で

お互いに相手を認識し始めているようで

「今日は〇〇くん来てたわ」

という話も、

息子の口から聞かれるようになってきました。

 

良きことです ^^

 

 

と、まあ

こうサラッと書くと

何の問題もなく順調に馴染んでいるかのように

感じられると思うのですが

実際には、細かく色々と感情の揺れがあったんですよ。ええ。

 

 

それらの色々のうちの一つに、

こんな話を息子から聞くことがありました。

 

 

「別室で学習をしている時に、

監督してくれている先生の目線が気になって

勉強に集中できない」

と。

 

 

さて、どう考えたら良いでしょう?

 

 

私も、むむむ、、、、と考えました。

 

これは、先生の関わり方の問題?

それとも、子どもの気持ちの持ちようの問題?

あるいは、子どもの気質や特性に由来するもの?

 

どうなんでしょう?

 

 

これは、私の個人的なポリシーでしかないのですが

何か事が起こったときに

誰かのせいや何かのせいにはしない

という点には、注意を払うようにしています。

 

なぜなら、

その方が自分が楽だから。

誰かのせいや何かのせいにしてしまったら

もう、そこからは一歩も動けなくなるから。

自分でコントロールできる余白がなくなるから

です。

 

だから、無理やりにでも

自分がどうにかコントロールできるストーリーに

読み替えていきます。

 

 

好きな言葉に

「事実は存在しない。ただ解釈だけが存在する」

という言葉があります。

どのみち、本当のことなんて誰にもわからないのです。

だったら、自分の心が楽になる方に解釈していった方が

自由じゃないですか。

 

 

さて

その話が息子の口から出てきたのは

ちょうど実力テストの結果が返ってきた頃です。

正直、息子が思い描いていた結果には及ばず

色々と言い訳をしたい気持ちもあったのかもしれませんね。

 

ただ、言い訳にしたとしても

「人の視線が気になる」というのは、

今後も学校生活を続けていくならば

決して無視できない状況です。

 

では、どうしたら、人の視線を感じずに済むでしょうか。

人の視線が気になるときって、どういう時なんでしょうか。

逆に、人の視線が気にならないときって、どういう時なんでしょう。

ーーーーーどういう時だ???

 

 

自分の経験から考えると

何かに熱中・集中・没頭しているときには、まず人の視線は感じないな。

と思いました。

 

 

という訳で

私がやることは、ただ一つ。

息子が別室で過ごす間どれだけ集中の時間を作るか、です。

 

先生の視線が気になって勉強に集中できない

んじゃなくて

勉強に集中してないから、先生の視線が気になるんじゃないの?

と読み替えていくことです。

 

 

息子には

実力テストの結果から

この一か月を振り返って、日々の学習への取り組み方を考えてもらい

学習量をドーーーンと増やすことを提案しました。

提案、じゃないな。そうするように言いました。

 

 

「それはな、負荷が軽すぎんねん」

「頭脳なんて筋肉と一緒で、ちょっとずつ負荷を上げていかな力付かへんねん」

と、尤もらしい理屈をつけて。

(本当かどうか、私は知りません(笑) 経験上そうなんだと思ってます)

 

とにかく集中しろ。余計なことは考えるな。

ダラダラしない。時間を意識しろ。です。

(他人の視線など気にしている場合ではない)

うわ、怖っ!!スパルタやあ😎

 

 

しかし、結果

先生の視線が気になることは無くなり

集中できる時間も延び

そんな自分を、本人も成長として実感できてるみたいです(*^^*) 

 

 

人の視線が気になる、という状態は

言い換えると

自意識が過剰になっているのだと思います。

 

でも、その自意識はコントロールできる。

 

 

人によっては、そのコントロールの方法を

部活やお稽古事などの経験を通して

身に着けていくのかもしれないですね。

 

わが家の息子は

残念ながら、部活もお稽古事もしていません。

その分、いま出来ていることを最大限に活用して

いい機会にしていければ、と思います。

 

 

自分という乗り物を自在に動かせること。

自由に生きるって

そういうことじゃないかな?

 

 

せっかくなら、自由に生きたいもんね。