ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

すぐに結論を出さない。決めつけない。

 

不登校あるある話。

  

子どもが学校に行きにくくなったりすると

大人はつい、不安になるんですよね。

何ででしょうね?

 

 

でね、その不安の先にある行動が

「原因を探す」

 

原因や理由がわかれば安心するんですよね。

まあ、それは自然の摂理だと思います。

よくわからないものに恐怖を抱くって

本能みたいなものですからね。

 

ある意味それがあるから、

未知のものを解明したいというヒトとしての本能や欲求があるから

文明が発展してきた

という面もあるのでしょうから

そのこと自体は悪いことではないと思います。

否定はしません。

 

よくわからないものには原因や理由を見つけたいんですよ。人間は。

だから、自分を安心させるために

子どもが不登校なんかになっちゃったりしたら

原因を探したくなるんでしょうね。

 

 

その根底にあるのは

「子どもが学校に行きたくないなんてこと、ある筈がない」

という思い込み、というか

前提条件があるんでしょうね。その人の中で。

 

でね。

そこで私は思うわけです。

 

その前提条件って、信じてていいの?

その前提条件は、絶対のものなの?

ってね。

 

なんで、子どもが学校に行きたくないなんてこと

あるはずがない、って思っちゃうんだろう?

もしかしたら

その人は、ずっと学校で楽しく過ごしてきた人なのかな?

 

 

私見だけど。

私がいつも思うのは

自分が子どもだったころは

学校が嫌だったり

ちょっとくらい何かあっても

なんだかんだ逃げ場があったかなー

ってこと。

 

学校、まじめに行ってなくても卒業はできるとか

学校の人間関係がちょっとくらいアレでも

近所の友だちとか

親戚・いとこたちとか

他いろいろ

別の関係性があったかな、とか

ぎりぎりのところで学校に繋がってる状態でも

それで責められることもなかったし

変に先回りして心配されることもなかったし

大して困ったことにもならなかったし

まあ、私の周りの大人たちは困っていたのかもしれないけど ←

 

決して昔の子のメンタルが強かったとかではなく

気持ちの逃げ場所が

何かしらあったし

そういう逃げが許される環境があったんじゃないかって

思うんですよね。

いい意味で放っておいてもらえるみたいな。

 

今よりも

周りの大人たちがデンと構えて

受け入れてくれる幅が広かったような

気がします。

一言で表すと、おおらかって言うのかな。

 

 

今の子

ちょっとした気持ちの逃げ場がなさ過ぎて

いろいろ溜め込んじゃって

最終、学校に行けなくなるって

あるんじゃないかな。

 

だったら、それはもう

行かない方が良い。休んだ方が良い。

って、私は思います。

 

それでバランスが取れるなら

そうしたらいいじゃん。って。

そうやって自分のバランスの取り方を会得していけるなら

それはそれでいい勉強になってるんよ。

逃げることも大事。

逃げ方だって大事。

 

人生数年~十数年しか生きてないんだから

気持ちの逃がし場所も希薄な中で

そりゃあ大人みたく器用にバランスなんて

取れないでしょうに。

 

なのに、なんで今は

ちょっと子どもが学校に行かなくなったくらいで

(あえて、そう言います。)

こんな大騒ぎになっちゃうんでしょう??

 

もー、ええがな。

放っといたりーな。

、、、、、、って、思っちゃう。

 

変に大騒ぎしすぎるから

子どもだって

「自分、おかしいんちゃうやろか」

って心配になるんじゃないかな?

 

心配になるから

不安がどんどん膨らんでいくんじゃないかな?

 

 

今の子を見ていると

学校以外の人間関係も少ないし

無駄な時間をボヤっと過ごす時間も場所も少ないですよね。

 

学校に行ってたからと言って

その間、常に合理的に無駄なく動いていたわけじゃない。

何もかも上手くいっていたわけじゃない。

私は、そのことを肝に銘じて

子どもが

〝不合理〟だったり〝無駄〟だったりする時間を

過ごしていくことを

認めていきたいと思います。

 

子どもが学校に行かないくらいで

その時のその子の行動だけで

その子の特性や能力や親子関係などに原因を求めて

〝こうだろう〟と決めつけることは

なんだかとっても

尊大な感じがするのです。

 

 

今、たまたま学校に行ってる子は

やっぱりなんだかんだ

どこかで気持ちを逃して

バランスとってるんじゃないかな。

いじめ問題とか学校内暴力とか

スクールカーストとか

いろいろあるみたいだし。

それで傷付く子がいるってことは

それで自分を守ってる

バランスを取ってる子もいるってことなんじゃない?

そっちの方法を取るか

学校行かない方を選択するか

それだけの違いなんじゃないかな?

 

なんで、学校に行かない方の選択をした子だけが

問題視されるのか

本当に意味が分からない。

 

 

ゆっくりと

ゆったりと

その子のペースで成長していけばいいじゃないかと

思います。

 

そして、その子自身で色々と試しながら

〝自分が楽に幸せに生きる方法〟を

見つけていけば良いと思います。

 

私自身もそうしてきたし

まだまだ成長の途中なのですから。