ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

ホームエデュケーション事始めー自分軸を立て直す

 

わが家がホームエデュケーションを始めた当初は

ホームエデュケーションのために親子で何かをする

ということは、あまりありませんでした。

子ども自身が、そのような状態ではなかったからです。

ですから、はた目にはただの「不登校」家庭だったと思います。

 

ただ、家庭内の認識は完全に「わが家はホームエデュケーション」を

目指していました。

本当は、すぐに「わが家はホームエデュケーション」だと

言いきれたら良かったのですが

自分自身の納得を得るのにも時間の積み重ねが必要で

家族以外の人に

「うちはホームエデュケーションなんです」と堂々と言えるように

なるには、まだまだ時間が必要でした。

 

それでも、自分が心の中で「こうしよう」と決心することだけはできます。

決心さえすれば、

「わが家はホームエデュケーション」という視点から考えていくことができます。

はた目からは

「ホームエデュケーションと言ったって、言い方を変えただけで結局は不登校

に見えていたかもしれないですが、

私にとっては、早い段階で「ホームエデュケーション」へと意識を変えることは、

大きな意味があったと思います。

 

親がホームエデュケーションへと意識を変えたことで、

何がどう変わったのでしょう。

まずは学校起点でなく、子どもの成長を起点に考えられるようになったことです。

 

 

「学校に行けるようになるために」支援をするという考え方ではなく

「その子の成長にとって、いま何が必要でしょう」と考えていくのが

私のホームエデュケーションの基本になっています。

 

いま休息が必要なら休息を

いま、とことん遊びつくすことが必要なら遊びを

勉強よりも何よりも、お友だちとの関わりが必要なら友だちとの関係を

 

そんな風に、「いま、子どもの成長にとって必要なこと」を

その時々で見極め、

少しずつサポートしてきました。

 

 

この「不登校」と「ホームエデュケーション」の意識の違い、分かりますか?

 

学校側から見て

不登校」だから行けるようにサポートしてあげましょう

じゃなくて

子どもの側から見て

子どもの学び成長を(どこで学ぶかに関わらず)

周りの大人たちがサポートしていきましょう

ということです。

 

つまり、主体は子どもです。

学校じゃなくて。

 

この視点の置き方の違いは、私はとても大きいと思っています。

 

こうして、子どもを主体として考えていくこと

それが

子ども自身の自分軸を育てていくこととなるのだと思っています。

 

自分軸が育っていくことで

「自分は、この自分でいいのだ」と思えるように

なっていくのではないかと。

 

「自分は、この自分でいいのだ」という確信のようなものが

子どもの成長を後押しする力になるのではないかと。

 

 

以前の記事でも書いた通り

わが子の場合は、不登校に至る過程で

自分が食べる食事に調味料をかけることすらできないほど

自分を見失い迷子になった時期がありました。

 

自分が口にするものなのに、

自分の目分量、感覚、味覚すら信じられなくなってしまったこと。

 

自分の中に育っていたモノサシを失ってしまった我が子に

その時、わたしが一番必要だと思ったことは

そのモノサシを取り返すことでした。

 

 

私は、私がまず「ホームエデュケーションで子どもを育てるんだ」と

自分が決心することで、

こどもが自分軸を取り戻すこと

子ども自身のモノサシを取り戻すことに繋がったのだと

今では思っています。