ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

在宅生活3年目12歳の夏に息子と話したことと、その後の変化について

 

わが家のホームエデュケーションは6年前に

子どもの不登校をきっかけに始めました。

 

「ホームエデュケーション」と言っても

最初の1年はプチ引きこもり生活。

その後2年間も、ほぼゲームとYouTube動画三昧で過ごしていました。

 

それはそれで、

子どものメンタル回復

主体性の回復

自分軸の回復

いろんな面で必要な時間ではあったので

決して無駄ではなかったと

私は思っています。

 

 

そして不登校3年目の夏。

 

その頃の息子は 

毎日一緒にゲームをしたり

くだらない雑談を楽しんだりできる友人にも恵まれ

もともとの好奇心旺盛な性格が開花して

YouTube動画を含めインターネットから知識を蓄え

小学6年生にしては物知りな一面も育ってはいました。

はた目からみればカシコイ子に見えていたかもしれません。

毎日をそれなりに楽しみ、ある意味では満たされていたのかもしれない。

ホームエデュケーション万歳、

アンスクーリング最高!!

といったところでしょうか。

状態としては、とても良かった。

毎日がHAPPYでした。

 

一度、世界の最先端のお話が聞けるという機会に

同席したことがありますが

そこで聞く「最先端の話」は

ほぼほぼ、わが家の日常会話のネタだった

ということもありました。

インターネットを駆使すれば、

小学生でも、それだけ情報にアクセスできるということです。

 

 

ただ、そんな息子を見ながら

私は漠然と憂慮もしていました。

 

インターネットを使って能動的に知識を獲得していくことは

悪いことではありません。

主体的に学んでいる、とも言えるでしょう。

ただ。

知識が豊富であることと賢さは

また違うんじゃないかって。

 

好きなこと得意なことを伸ばす教育が注目を集めていますが

じゃあ、このままゲームをやり続けて

この子は伸びるのか、と。

何より、この子はそんな人生を望んでいるのだろうか?と。

 

そんなことを思うようになりました。

 

結論から言うと

息子の性格から考えて、きっとそれはないだろう。

ただ楽しいだけの人生を望むほど

この子はそんな単純な子ではないだろう。

それで満足する子ではないな、、、と思いました。

 

幼少の頃、あんなにヒーローに憧れた子が、ですよ。

ただ楽しいだけの人生を謳歌できるとは、とても思えなかった。

「誰かの役に立ちたい」「誰かを助けたい」

そんな気持ちを強く持っている子です。

友だちを何よりも大事にしたいし、仲間を助けたいし、助け合いたい。

そんな子です。

 

 

さらに言えば

息子は、小学校3年で学校に行かなくなるまでは

学校のお勉強は比較的できる方でした。

(と言っても小3ですからね。ほぼ、どんぐりの背比べです)

 

親の目から見て、

他の子に比べて特に突出している何かを感じたことはないのですが

本人としては

「自分は他の子よりデキる」という変な勘違いは持っているわけです。

 

ずっと学校に行き続けていたなら

学年が上がるにつれて、

周囲との比較で勘違いも修正されていくのでしょうが

何といっても不登校ですから。

息子の記憶は、小3の秋でストップしているわけです。

ずっと「多少優秀だった過去の自分」のイメージを抱えたまま

12歳になってしまったんです。

 

そのイメージにしがみついたまま、

何もせずに今と同じ生活を続けていたら。

いくらインターネットで知識を豊富に蓄えていたとしても

いつかはあっさりと逆転されてしまうのは自明の理です。

教科学習なんて、すごくシステマティックに出来てますからね。

そこに乗っかって学習をしていれば

圧倒的スピードで知識が入ってくるに決まっているんです。

 

そして、いつの間にか逆転されていることに気づいたとき

息子はどう感じるでしょう。

そこで一念発起して何らかのアクションを起こせれたら良いのですが

そうでなかったら?

自分の無力感に打ちのめされてしまったら?

そのまま人生を諦める選択肢しか見いだせなかったら?

「好きなこと」ばかりしていた自分を恨んでしまわないかな?

 

思春期に入り、否が応でも周りと自分の違いが気になっていく年頃です。

「他人と比べなくてもいいよ」

「あなたは、あなただよ」

という言葉を掛けるのは容易い。

ただ、人からそんな言葉を掛けてもらったとしても

「もしかしたら頑張れたのに頑張らなかった自分」を

心のどこかで感じながら平気でいられるほど

息子自身が鈍感でいられるとは

思えなかったんですね。

 

 

だから、不登校3年目の夏

12歳になった息子と、こんな話をしました。

 

 

「自分は、どんな大人になってたい?」

「20歳になった時の自分を想像してみて」

「例えば、ゲーム以外に得意なことがない自分を、自分で受け入れられる?」

「自分は、そんな自分を許せると思う?」

「今ここで答えなくていいから、考えてみて」

 

 

 

そんな話を、タイミングを見て3回はしました。

 

それから半年間、機会を見つけては、

息子と一緒に

いろんな人の話を聞きに行きました。

息子が憧れそうな人に会いにいきました。

 

その行動が

息子の心に影響を及ぼしたかどうかは、分かりません。

(いちいち感想を求めなかったので)

 

 

ただ、それから年が明けたお正月

息子の口からポロっと、こんな言葉が漏れてきました。

「おれ、学校が嫌いなわけじゃないんねん」

「学校にいた人が嫌やっただけで、学校そのものが嫌なわけじゃないねん」

「優しいだけの先生が良いわけじゃないねん」

「厳しい先生でも、ちゃんと理屈が通ってたら別に構わんし」

「ただ、『甘いだけ』と『優しい』は違うと思う」

 

 

それから1ヶ月後、

「ゲームばっかりしてたらアホになりそうやー」

「頭使うことしたいなーーー」

「おれ、大学に行くわ。大学に行って研究する」

「人の役に立つ研究がしたい」

「だから勉強するわ」

 

そうして、教科学習に取り組むことに決めました。

 

 

 

不登校の子の学習に関しては

本人がその気になるまで待っていれば良い、という話も聞きます。

ただそれも、その時のその子の気持ちのありよう次第かも。

 

小学校の早い段階で不登校になった場合

在宅状態で落ち着いていた子が思春期のころに荒れる

というお話を度々聞きます。

思春期特有の感情の揺れ、と捉えて

親はデンと構えていることも大事だとは思いますが

その荒れの向こう側に

もしかしたら

その子の願いが隠れているかもしれない。

「ちょっと助けて」のサインかもしれない。

 

それは、

「本当は、勉強できてたい」だったり

「本当は、思い切って何かに没頭したい」だったり

「本当は、友だちと馬鹿言って遊びたい」だったり

するのかもしれない。

そんな視点も持ちながら

目の前のお子さんをゆっくりと観察して

「これから、どうしたい?」

「本当はどうしたいと思ってる?」

というお話をしてみても良いかもしれないですね。

 

時には能動的に働きかけるのも悪くないと思いますよ。

待っているばかりではなく。

 

 

息子は、そんな視点を 私に教えてくれました。