ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

なんで勉強しているかって言うとーーー学歴と学問は違うよね?

 

我が家はホームエデュケーターです。

ですが、息子が高校進学を希望しだしたこともあって

今は、所属中学校に別室登校をしながら

授業のカリキュラムにも参加させていただいてます。

 

 

で、なんで高校進学を目指しているかって言うと

シンプルな話、「リア友が欲しいから」なんですよね。

「自分と合う子がいそうな高校に進学してリア友を作りたい」

根本的な動機は、そこです。

 

リア友が出来たら、一緒にやりたいことがあるんでしょうねえ(笑)

まず何よりも、一緒にじゃれ合ったり遊んだり、

したいんじゃないでしょうかね。

 

決して、学歴を求めて、とかではなく。

 

 

 

学歴と言えば。

 

 

最近よく

もう学歴の時代じゃないとか

好きなことを追求してとか

そんな論調も聞くんですけど

学歴、勉強なんかと 

好きなことを追求することを

対立的に捉える必要もないんじゃないかって思うんですよね。

 

別に学歴が唯一絶対の価値を持たないのは当然として

だからって、それを否定してかかる必要もないんじゃないかな?

 

一方を肯定するためにもう一方を否定する必要って、ある??

 

 

学歴ってさ、それを何かの資格かなんかと同じように捉えるから

何か薄っぺらい感じがするだけで

その学歴を得るために進学した学校で深めうる学問の質とか

そこで過ごした濃密な時間とか

そこで出会う人間関係にこそ

意味があるんじゃないかな?

 

学歴と学問を混同するから、話がおかしくなるんじゃないかな?

 

 

別に、どっちを選択したっていい。

どっちもありだと思う。

どっちを選択したとしても

そこで深められる何か、そこで出会う人が

その子に合うなら。

 

不登校をしたからって

こっち(学校教育)が合わない、合わなかったんだ

なんて縛りや結論を、自分(や自分の子)に課す必要はないと思うな。

 

 

今、距離を置きたいなら置いたらいいし

後で方向性が変わってもいい。

寄り道してもいい。

なんでもすぐに結論を出さなくてもいいんじゃないかな?

 

じゃないと、自分が苦しくない?

 

 

自分が選びたい方を選んだらいいよ。

周りの大人たちが、さも正論ぽく勝手に言ってることなんて

無視しちゃっていい。

自分の人生なんだからね。

 

 

息子には、そう伝えたいな

って思います。