ホームエデュケーションでご機嫌な毎日

2014年よりホームエデュケーション(ホームスクーリング)開始。きっかけは子どもの不登校。そこから見える景色や日常、思ったこと感じたこと考えたことなどなどを綴っています。

「子どもに期待しすぎない」を考える

 

先日、学校で進路希望調査がありました。

子どもが、希望する進学先を紙に書いて提出するんですね。

 

そこに保護者からの一言を書く欄があって。

「これ書いてー」って言われたので

 

〝本人の努力に期待します〟

 

と一言だけ書いて、渡しました。

(いや、他に書くことなくないですか?)

 

 

それを見た息子がまた、嬉っしそうな顔をするんですよね。

 

「努力に期待、、、、、、。俺、頑張るわあ~♪」

ってね。(素直が取り柄です♡)

 

期待されると頑張れちゃうのね(笑)

 

 

 

 

 

さて。話は変わって。

不登校の親の会でよく言われます。

 

 

「子どもに期待しすぎないで。見守ってればいいんですよ」

って。

 

「子どもなんて親の期待通りに動かないんですから、子どもの人生なんだから、親は自分の理想を押し付けないで黙って見守ってればいいんです」

って。

 

 

ある意味、そうだ。その通りだ。

と思います。

 

 

でも、心のどこかで

「え?本当に?それでいいの?」

と思う自分もいます。

 

 

それって、やっぱりケースバイケースじゃないのかなぁ?

 

期待されないこと

イコール

見放された

諦められた

 

って感じる時だってないかなあ?

 

 

 

それって、そんな単純な話じゃなくって

その子との関係性とか

時期とか

状況とか

いろんなものが複合された上での話じゃないかなぁ?

 

 

期待が重い時だってある

期待が勇気に変わる時だってある。

期待されないことで空虚になることもある。

そもそも、変に絡んでこられるとウザい時もある。

その時々で違うよね?

 

 

 

 

だから、何かの正解みたく

「期待しないで見守る」だなんて

無理に思わなくて良いと思うな。

 

 

「期待しない方がいいんですよね」

そう言ってる時のお母さんの顔が

とっても辛そうに、諦めたように見えるとき

私は、「期待してもいいんじゃない?」

って、言うよ。

 

 

だって

芯から思ってもいないようなこと言ってるあなたの

その浮かない表情を見ることこそが

子どもにとって、一番悲しいことだと思うから。

 

 

 

もしあなたが、

誰かの言葉で心が縛られているように感じたり

腑に落ちないものを感じていたら

どうしてだろう?って考えるチャンスだよ。

そのモヤモヤの中にこそ

あなたが大切にしたい何かが隠れてるんじゃないかな?